北国街道を旅するの巻 〔後編 1/3〕

 今回が北国街道の最終回。

 去年の春、4/19~22まで三泊四日。32里(125km)。高田から富山。

 そして、秋、10/10~13まで三泊四日。32里(127km)。富山から動橋。

 今回、最終回で4/18~22まで四泊五日。43里(172km)。動橋から関ケ原。

 いやはや、長い旅であった。

 
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 京都駅から動橋(いぶりはし)駅までは奈良のN氏と同道だった。

 車中で腹ごしらえをして動橋駅集合が正午。

 今回の道中は8名参加。

 珍しく、五日間、天気に恵まれたものの五日間歩き通すのにはくたびれ申した。

 さてさて、動橋駅にて集合し、さっそく、出発だ。

 
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 懐かしい動橋駅は無人駅だ。半年前と何も変わっていない。

 今日の行程は金津までの25km。"あわら温泉"泊まりだ。

 
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 いざ出発。と思いきや。スタートして7分で試飲できる酒屋さんに突入だ!

 
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 平日の昼すぎに酒屋さんに押し掛けた呑兵衛軍団。店のおなご衆が総出で接待だ。

 これが、古酒。10年物。これは辛口。これはフルーティな味わい。次から次えと試飲のあらしだ。

 試飲ばかりでは気の毒とばかり購入する輩も。

 でも、これから25kmも一升瓶を持って歩くわけにもいかないし・・・。 ここが、呑兵衛の思案のしどころ。

 歩くのも忘れて酒屋さんでワイワイガヤガヤの15分。

 これは幸先が良いスタートなのか。悪い知らせの前兆なのか。

 おとなしく歩くのに1、2時間はかかりましたね。

 
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 ここは動橋駅より30分ほどのところにある八日市の一里塚。(12:34)

  
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 ここは大聖寺天神下町の"富樫の馬塚"。(13:41) 

 室町時代の足利将軍のころ、西国を平定し帰国を急ぐ富樫三郎が大聖寺で猛吹雪にあって谷に落ち、家来や愛馬と離れてしまった。日が暮れ寒さと飢えで一命をなくすところを愛馬が餅を加えて戻ってきてくれた。明け方家来とも再開し菅生石部神社の前まで来た時に、愛馬が動かなくなったことに腹を立てて富樫は愛馬を殺す。愛馬が立ち止まった家の中から餅が散らかっていたことを知った富樫は愛馬が盗んだ餅の罪を悔い動かなかったことを知る。富樫は愛馬を殺した罪を悔い、この地に馬塚を設けたとさ。

 
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 ここは大聖寺本町にある時鍾堂。(14:05) 大聖寺藩二代藩主前田利明の発願で寛文7年(1667年)に作られたそうな。たびたび火災に遭っていたが平成14年に再築されたとか。 りっぱな時鍾堂である。

 この地は"日本百名山"の著者である深田久弥の生誕地でもあるそうな。

 
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 こんなポスターもありました。加州大聖寺藩が日本橋から大聖寺までの540kmを2人1組で20kmずつをタスキで繋ぎ、みんなの協力を得て540kmを完歩するというものです。(2019/07/29~08/11)

 旧中山道→旧北国街道→旧北陸道の道筋です。

 楽しそうな企画ですね。ポスターのデザインはKinomiさんで大聖寺出身で千葉県で活躍の漫画家だそうです。

 
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 ここは大聖寺藩の関所跡。(14:19)

 
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 ここは大坂一里塚。ここから旧道の山道に入ります。(14:28)

 
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 広大な梨畑が広がってきました。右側の林の向こうは片山津ゴルフ倶楽部山代山中ゴルフ場です。(15:38)

 
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 これはお国境の名号塔。加賀方面から越前へ入国する人々を歓迎して旅の疲れを労った名号塔とか。(15:45)

 
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 のこぎり坂と吉崎道と書かれています。(16:07)  鎌倉時代に親鸞が越後に流されたとき、ここで越前門徒と別れたところ。我々が来た道、旧北陸道を辿って親鸞は越後へと向かったのでしょう。当時は、のこぎりの歯のように屈曲して登ったのでのこぎり坂と呼ばれたそうな。そののち、江戸時代には大改修され大名道路となり祝言坂と言われたそうな。

 平安時代の初めに越前から加賀を分国し、この山の上が加越国境だったそうな。

 旧北陸道から右に登れば吉崎道で蓮如が通った道でもあるそうな。

 さて、これより道中、蓮如さんの幟を沢山目にします。

 蓮如さんはどんな生い立ちだったのでしょうか。

 京都東山大谷にあった本願寺の浄土真宗本願寺派第8世宗主。と言えばりっぱに聞こえるけれど、幼い時はさびれたお寺だったそうな。でも、人一倍の努力家で、宗祖親鸞聖人、覚如上人などからよく学び、精力的に独自の布教活動を開始されます。しかし、比叡山の山法師たちは本願寺の興隆を危ぶみ、大谷の本願寺を破却します。そのすきに、蓮如は逃れ、門徒たちにも助けられ、近江、北陸、吉崎へと布教の道を進めます。わかりやすい六字名号"南無阿弥陀仏"を唱えて多くの信者を獲得し、畿内、北陸、東海道など全国に浄土真宗の教えを広められます。明応8年(1499年)3月25日に85歳で亡くなるまで一心に一人でも多くの人に布教を進められました。
よく精力的に歩き回られたものです。生涯5度結婚され、男子13人、女子14人をもうけられ、こちらの方も精力的だったようですね。

 ようやく、今日の宿、あわら温泉"大江戸温泉物語"に到着。

 部屋に入り、入浴を済ませ、夕食だ。

 夕食はバイキング形式。好きなものを好きなだけ食べられる。でも、アルコールは有料だ。

 
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 平日なのか、周りを見渡しても同じような年恰好の人たちでにぎわっていますね。

 平和の証なんでしょうね。

 お行儀良く、揃えの浴衣を着こんで・・・。

 お腹もいっぱいになり、いつものように部屋に戻って、今日の反省会。

 毎日毎日、反省することばかり。度を過ごすから反省しなければならないのでしょうね。

 ま、年も年だし、反省もそぶりだけで、実態は何の反省もしやしない。

 
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 部屋が狭いので、上がり框の畳二畳ほどのところでワイワイガヤガヤ。

 良くやりますね。適当なところでお開きでござる。

 あしたは福井市内を散策しての28km前後。

 お休みなさい。Zzzzz・・・。

今日は27kmでした。

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 【二日目】

 
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 全員元気に勢ぞろい。いざ出発。

 
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 朝は、7時朝食、8時出発だ。今日は歩く距離もそれほどでないから早めに宿に着きそうだ。

 天気も上々。歩き日和ですね。

 
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 実は、昨日、千束の一里塚がゴールだった。

 そこからあわら温泉大江戸温泉物語の宿まで3km強を歩き、今日は、この千束一里塚までタクシーで乗り付け、ここからのスタートとなる。律儀ですね。

 
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 街道の要所要所で古跡を訪ね、理解する人、ただ茫然と眺める人。

 おいらは、もちろん後者。

 ここは、坂ノ下宿場口跡とか(8:30)。あわら市 花乃社1丁目。会津宿は徳川時代、北陸街道筋の大宿場であった。

 戸数六三九戸、本陣・旅籠屋六〇戸、遊女屋・揚屋二七軒が江戸中期には立ち並んでいたそうな。
 
 鎌倉時代には源義経が平泉に落ち延びるときに、越後に配流された親鸞聖人、江戸時代の大名行列、松尾芭蕉なども通ったとか。

 昨日通ったのこぎり坂からこの坂ノ下まできてやっとひと心地がついたようです。

 タイムスリップしてその時の様子をじかに見たいものですね。

 
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 この界隈には蓮如道の石灯篭が据え付けられています。(9:09)

 蓮如上人の御影道を後世に伝えるためにあわら市内14kmの道のりに設置されています。

 蓮如上人御影道中は毎年、京都から吉崎まで行われているそうです。

 
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 今日は平たんな田んぼ道を進んでいます。(9:12) 田んぼの中に一里塚が見えます。

 区画整理されて綺麗な田んぼ道になっていますが、往時は曲がりくねった田んぼ道だったのでしょうね。

 
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 ここは、振袖地蔵とありますね。(9:30) 天保の大飢饉(1836年)の折、春先から低温と多雨に見舞われ雹が降ったり、梅も桜も咲かず、秋になっても稲穂が半分も実らず大区作となったそうな。餓死するものも福井藩で六万人とも。食べ物を求めてこの地に来たものも幽鬼のごとくひどいもので野垂れ死にするものあまた。その中でも、哀れであったのが振袖を着た娘や振袖を抱えた餓死者が目を引いた。哀れに思った地元の人たちが地蔵を祀り振袖を刻んだとありますね。

 『関の地蔵さん振袖姿 かたい心がしおらしや』

 と当地の大関音頭に謳われておるそうな。

 
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 ここは、長畑村の一里塚。おはや良作の悲恋を伝える供養塔もある。(9:57)

 江戸の後期1808年。加賀藩士安達良作と呉服屋の娘・はやが駆け落ちをしたが、はやの母親らの追ってに捉えられる。思いつめた良作がこの長畑の一里塚で追いつく。駕籠に載せられていた娘を一刺したが誤って母親をも殺めてしまう悲劇も加わって大事件となったとさ。

 何事も、思いつめるとよくありませんね。

 となりの電気屋さんの親父さんの話を聞きながらひと休憩したのちまた出発です。

 
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 ここは、鳥居がずっと奥まで続いていた白山神社。(10:43)

 
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 ここは、見落としそうな坂井市丸岡町北横地の一里塚。(11:09)

 
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 少しお腹が空いてきたので坂井市丸岡町南横地のコンビニで休憩です。(11:18)

 
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 ここは、坂井市春江町正蓮花の金戸まつや地蔵尊。(11:53) むかしこの地は窪地で九艘橋と呼ばれる船に板を渡して渡っていたそうな。大雨の時には渡れず、無理をして渡って命を落とす人も。まつや商店の店主らが供養のために地蔵尊を建て、まつや地蔵尊と呼ばれ、また、金戸の渡しで亡くなった人の供養のために建てた台座にある津田地蔵とも呼ばれているそうな。

 
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 また、一里塚ですね。(12:23) 九頭竜川を渡る手前の一里塚です。

 
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 やっと、九頭竜川を渡ります。(11:26) この川を渡ると福井市内も目と鼻の先。

 お昼が待ち遠しい。そばと天ぷら、そして、ビールだ。 探せ! 蕎麦屋を!

 残念、結局のところ餃子の王将に落ち着くことになりました。

 
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 おとなしくみなさん昼食です。(13:22) 福井市大宮1丁目。

 
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 ここは、福井市宝永3丁目にある養浩館庭園です。(14:33)

 福井藩主松平家の別邸。数寄屋造りの屋敷で御泉水屋敷となっています。庭園が素晴らしいですね。

 
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 池には鯉が泳いでおり、畳の間からゆっくり池を眺めていると疲れがいやされます。

 
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 ここは、福井市中央1丁目にある北ノ庄城址。(15:42) 柴田勝家とお市の方の居城だったのですね。

 像の柴田勝家は怖い顔をしていますね。

 もう少しで、今日の宿に到着です。

 
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 宿に到着する前にしなければならないことがあります。

 それは、コンビニか酒屋を近くで見付けること。(16:04)

 いいところに、酒屋がありましたね。あとは、宿に着いて、風呂に入って、吞む。

 
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 今日の宿、河甚旅館に到着です。(16:08)

 
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 風呂に入る人、吞む人、その合間にもろもろの清算を致します。

 
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 落ち着いたところで夕食です。(18:32) 規則正しい生活はいいですね。

 一日歩いたので食事は美味しく、ビールもうまいです。

 食事の間に洗濯と乾燥を手際よくします。 賢いですね。

 
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 食事が終われば、乾燥機から洗濯物を取り出し、自分のものを取り出します。

 毎度のことながら、だれのものかわからない洗濯物が出てきます。

 たぶん、前の人の靴下の片っ方なのでしょう。

 あわら温泉ではパンツが無くなったと大騒ぎがありましたが・・・。 

 
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 今日も一日楽しく過ごすことができました。(20:41) 楽しく歓談し、明日の備えて早めに寝付きましたね。

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 今日は28kmでした。 これで、前半が終了です。

 あしたは中日。距離が38kmとか。段々きつくなりますね。 おやすみなさい。

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