北国街道を旅するの巻 〔後編 2/3〕

 【中日、三日目】
  今日は福井から今庄までの37kmとか。

  だんだん、厳しくなりますね。

 
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 河甚旅館の前で元気に記念写真を旅館の主人に撮ってもらう。

  
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 今日も天気がよくいざ出発。(7:16)

 忘れ物はないか。

 いつぞやは旅館の半纏に財布を忘れた御仁がおったね。とか言いながら・・・。

 大通りへと出ます。

 おや? どうも体が軽い。

 やや・・・。 軽口をたたいていたおいらがリュックを忘れているではないか。

 慌てて、旅館に戻る。 ご主人がおいらのリュックを持って走ってきてくれているではないか。

 恥ずかしいですね。 他人事ではありません。 

 よくよく集合写真を見てみるとおいらだけがリュックを担いでいないことがわかりますね。

 いよいよ、ボケの始まりか?

 まあ、朝から皆さんに笑っていただいて旅の疲れも少しは取れたのではないでしょうか。

 さあ、今日も一日、頑張って、忘れ物もせずに歩こうぞ!

 
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 ここは、鯖江市明神町歴史の道。(9:41)  兜山古墳。

 
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 ここは、鯖江市水落町の水落宿場跡。(9:54)

 
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 ここは、鯖江市本町。(10:16) 地蔵橋。

 天正のころ、長泉寺町あたりに長泉寺三十六坊があり、織田信長が一乗谷の朝倉攻めをしたときに焼き払われ、谷や川に投げ捨てられた石仏をのちに長泉寺の僧が霊夢により「わが体を踏ませて、通る衆生に功徳を与えん」とのお告げを受けてこの橋を作り、北陸道の地蔵橋と言う。 ここの地蔵尊が寝姿である所以とか。

 
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 ここは、鯖江市船津町の日野川に架かる白鬼女(しらきじょ)橋の袂にある白鬼女観世音菩薩。(10:46)

 昭和37年に河川工事の折に川底から石仏が発見され「白鬼女観世音菩薩」として白鬼女橋の袂にお堂を建てて祀ったとさ。地元にはいろいろな伝説があり今に伝わっているとか。

  『しらきどの橋椅といへる所にて、里人に尋ね侍れども、答ふるものも侍らずして、』

   道興准后(廻国雑記)より

 
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 ここは、越前市北府2丁目にある北府(きたご)不動明王。(11:23)

 この地に昔、大雨が降って日野川が決壊し、付近の村が水浸しとなる。その雨で流れついたお不動さんを拾った男が、すぐ傍に清水が湧き出ていることに気付く。男は毎日、その清水でお不動さんをきれいに洗った。いつのころからか、この清水で痛いところを洗うと具合が良くなると言う、うわさが広まり「水かけ不動」として祀られた。その清水は「極楽の一滴」と呼ばれ、長年水を掛けられ苔を覆ったお不動さんは今でも地元の人に愛されているとさ。

 
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 こんなに、お供え物やコップや花がお供えされているお不動さんもみませんからすごく愛されているのでしょうね。
 
 
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 お腹も空き、越前市に入ったからには、ぜひともお蕎麦を食さねばならぬ。

 都合よく、道筋に蕎麦屋が目に入る。と同時に、ストレートイン。 越前市国府1丁目。

 都合よく8人分の椅子が備えられている。 

 
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 天ぷら、お蕎麦、ビールですか。

 
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 こう都合よく食べられるとはいきませんよね。"幸せ"と言う言葉はこういう時に使うんでしょうかね。(12:25)

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 ここは、越前市本町5-6の"卍が辻"。どの筋からもまっすぐ見通せない通りとなっています。(13:00)

 
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 ここは、越前市本町。北国街道の面影を残す武生の道筋ですね。刃物店が多く並んでいました。(13:03)

 
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 ここは、越前市南北国街道にある天保飢饉供養題目塔。実にりっぱな大きな塔である。(13:16)

 
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 ここは、越前市松森町にある往還一里塚跡。(13:26) 北国街道にはたくさんの遺跡が残されていますね。

 
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 ここは、月見地蔵堂。(13:29)

 
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 今宿を出て、とぼとぼと田んぼ道を進みます。(14:03)

 
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 往還一里塚とあります。ここは、越前市国兼町。(14:14)

 
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 鶯の関跡。南条郡南越前町関ケ鼻。(15:06)

 
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 ここは、鯖波本陣跡。建物は江戸村に移築されているそうな。

 旧鯖波本陣石倉家は人馬継足問屋であったそうな。(15:17)

 ここで、北国街道が切れているようなので丁度居合わせた隣人に聞いて白山神社の横の遂道(鯖波トンネル)を通って進むとよいと聞く。

 
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 いよいよ、これから本日のメイン、湯尾峠越えです。(16:00)

 海抜200m。この峠を越えて今庄の宿へ、そして、木ノ芽峠、栃ノ木峠を経て京都に行くのである。したがって、戦略上の要地として幾多の抗争がこの峠を中心に行われたとある。明治天皇は明治11年(1878年)北陸御巡幸の折、峠で休まれ、その碑が建てられている。

 松尾芭蕉は 「月の名を 包みかねてや いもの神」 とよんでいる。

 
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 ここが湯尾峠。(16:14)

 
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 湯尾峠から湯尾の町並みがきれいに望めます。

 
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 ゆっくり足元を見ながら下っていきます。

 
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 ようやく今庄に到着です。(16:42)

 
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 例のごとく、宿に到着する前に近くのコンビニでお買い物。そして、今夜のお宿「川端旅館」に到着です。(17:02)

 朝の7時過ぎから10時間ほど歩いたことになりますね。やれやれです。

 風呂に入って、夕食を摂って、楽しいひと時の始まりです。

 
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 御馳走ですな。(19:03)

 
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 そして、今宵も眠くなるまでおくつろぎ! (21:11)

 
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 今日の歩行距離は38km。今日も無事楽しく歩くことができました。ありがとうございました。

 あしたは四日目さらに距離は伸びるそうです。朝もできるだけ早く出発したいとのこと。

 どうなりますことやら。

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