旅は道ずれ四人組 京街道を行く①[大坂高麗橋から守口宿]

 9月に紀州街道を歩き、10月に入って竹内街道を歩きました。
 次はどこの街道を歩こうかと思っていた矢先にコロナ禍で"旅は道ずれ四人組"が旅行に行くことができなかったのでコロナが落ち着いた10月に入ってボチボチ京街道を歩くことになった。

 京街道は大坂の高麗橋から京都山科の山科追分までの約55km。
 宿場では守口宿、枚方宿、淀宿、伏見宿そして山科追分となる。

 文禄3年(1594年)、伏見城築城に着手した秀吉が文禄5年に淀川左岸の"文禄堤"が始まりと。
 東海道の大津宿から髭茶屋追分(山科追分)で京の三条大橋へ向かう道と分かれ京を通らずに大津街道を通って四宿場を通って大坂に至る道は参勤交代の道として東海道五十七次と呼ばれたと。
 淀宿と枚方宿の間には"間の宿"として橋本遊郭があると。

 いろいろと近場の街道として興味のある道でもある。

 今回は第一回目で高麗橋から守口宿を少し行ったところまで歩いてみた。距離は約11km。

 ☆コース図
 街道地図がないとなかなか歩きにくいコースだ。
 歩いていると所々に"京街道"の道しるべがある。IMG_1124AP.jpg

 ☆いざ出発(9:45)
 大坂の高麗橋が出発点だ。
 この高麗橋は大坂に12あった公儀橋の一つで昔は商都・大坂の中心であったと。
 江戸時代から明治にかけて京街道、中国街道、暗越奈良街道、紀州街道、亀岡街道の起点で里程元標が置かれていた。
 ここから道路の距離計算をされていたのだと。
 9:30の出発の予定が待ち合わせ場所がわかりにくかってようやくそろっての出発だ。IMG_1079P.jpg

 ☆京街道の案内板(9:54)
 歩き始めてすぐに"京街道"の案内板がありました。IMG_1080P.jpg

 ☆八軒家船着場の跡(9:56)
 永田屋昆布本店のお店の前に石碑があります。淀川を上り下りした三十石船の発着場所だったのですね。IMG_1082P.jpg

 ☆天満橋(9:58)
 高麗橋からまだされほど歩いていないのにいろいろと目に留まりますね。
 大坂八百八橋といわれたのがわかるようです。昔の橋を訪ね歩くのも面白いかもしれません。IMG_1083P.jpg

 ☆京橋川魚市場跡(10:06)
 大阪城の北の端で川魚を慶長年間に漁民が売ったのが始まりだとか。IMG_1084P.jpg

 ☆大阪城が見えてきました。(10:08)
 高麗橋は大坂城築城のために架けられた橋だと。
 大阪城のお堀の周りを歩いているんですね。いかに大阪城が大きかったのかわかりますね。IMG_1085P.jpg

 ☆JR京橋駅の高架にも良く見ると"京街道"と。(10:27)
 ここから高架をくぐり"新京橋商店街"のアーケードの中を歩きます。 IMG_1087P.jpg

 ☆新京橋商店街(10:28)
 紀州街道でもそうだったけれど街道を歩いているとよく商店街の中を通ります。
 それぞれ昔からの生活道路だったのですね。IMG_1088P.jpg

 ☆京街道の石板が(10:31)
 商店街の中ほどに石板がありました。
 初めは大阪城の京橋口がこの街道の起点であったと。江戸時代になって高麗橋に移ったと。IMG_1090P.jpg

 ☆所々に道標が(10:38)
 街道地図を見ながら進んで行くと所々に道標があります。
 ここは都島中通3丁目5-24。IMG_1091P.jpg

 ☆榎並地蔵(10:39)
 古くから野江村の人々が大切にお祀りされていたと。
 石仏は集落の境や辻合などに祀られていて、街道を旅する人の安全と外部から侵入する疫病や災いから村人を守るとされている。
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 お昼前でお腹も空いてきたので適当な公園でお昼にしようと高殿七丁目にあるトイレ付きの公園でお昼を摂りました。
 天気も良く気持ちのいい、静かな公園でしたね。

 ☆古市橋(12:03)
 昭和十年代に城北運河が開削されて架設されたと。


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 ☆歩道にも京街道の盤が(12:04)
 森小路1丁目府道161号線歩道にてIMG_1098P.jpg

 ☆森小路京かい道商店街の幟(12:12)
 町おこしの一環であるんですかね。IMG_1099P.jpg

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 ☆木犀の本陣跡犀(12:15)
 浅田邸の庭園で、見事な木犀が三本あり、季節には蒲生や関目まで香りを漂わせ、それを愛でた十四代将軍徳川家茂は浅田家に宿泊し、多くの大名も守口宿を浅田家に替えて宿泊したと。江戸時代まで有名だったが、陣屋はもう現存していない。昔有名だったものがなくなるのは寂しいものですね。 IMG_1101P.jpg

 ☆実悟上人荼毘所旧跡(12:32)
 蓮如上人の息男が荼毘に付されたところ。
 守口市日吉町1丁目4-13。IMG_1102P.jpg

 ☆守口宿の高札場(12:48)
守口から枚方まで人足銭が六十八文とある。 IMG_1103P.jpg

 ☆文禄堤(12:53)
 豊臣秀吉が毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて治水と京街道の整備を目的として修築した淀川左岸の堤防。
 文禄5年(1596年)に修築が行われたので"文禄堤"と呼ばれた。
 築造当初は枚方市から大阪市長柄までの約27kmもあったそうな。現存するこの"文禄堤"は約720m。
 ここを下って右に進めば奈良街道。まっすぐ進めば京街道。IMG_1104P.jpg

 ☆白井家・大塩平八郎ゆかりの書院跡(12:56)
 天保8年(1837年)2月19日、天保の飢饉でこの機を利用して利益を得ようとした商人らに天誅を加えようと兵を挙げた。
 "大塩平八郎の乱"が有名ですね。
 今はマクドナルドが立っていてコロナを敬遠してドライブスルーでテイクアウトされていましたね。IMG_1106P.jpg

 ☆難宗寺(12:57)
 だいぶ歩いてくたびれてきました。これ以上京街道を進むと最寄り駅から遠ざかってしまうので今回はここまでとすることにしました。
 道標がいくつか立っています。

IMG_1107P.jpg

 ☆境内の大銀杏(12:58)
 トイレもあって一休み。
 大坂指定天然記念物の"難宗寺のいちょう"。樹齢約400年とか。 IMG_1108P.jpg

 ☆西三荘駅(13:19)
 途中にパナソニックのミュージアムがあったのですが休日でおやすみでした。
 ガード下をくぐってコンビニで今日のご褒美を調達し反省会をしました。
 次回は次月末に枚方宿へと歩く予定です。IMG_1109P.jpg

 近場でただ歩くのではなく街道などを歩くと歴史やその土地の生活様式などもわかって結構楽しめますね。
 今回も、こんなに多くの歴史的な事を知るとは思いもよりませんでした。

 次回はどうなりますことか。お楽しみに!

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この記事へのコメント

yoshi.kawase
2020年11月02日 11:09
毎回 健脚ぶり拝見しています。
元気そうで何よりで゛ございます。
私もぼちぼちやってます。畑の冬の準備も終わり、暇しています。
コロナ禍おさまりそうもありません。人混み感染しないよう頑張りましょう。
ではまた