熊野古道紀伊路〔②鳳から泉佐野まで〕
熊野古道紀伊路の第二回目。
鳳駅から泉佐野駅までのおおよそ28kmを前回と同様、約6時間で歩きました。
前回は都会から郊外への道筋でしたが、今回は郊外で神社などを巡り歩いたようです。
次回はたぶん大阪府から山中渓を通った山越えで和歌山県に至るようだと思います。
では、歩きましょう。
☆コース図
去年歩いた紀州路よりも内陸よりです。より細かなルート図は文中もしくは巻末に載せました。
☆スタート地点のJR鳳駅
丁度、平日の通勤通学時間帯だったので乗客はそこそこ多かったですね。(8:04)
30号線に出ると熊野古道の石標が現れました。
☆等乃伎神社(8:25)
古く「延喜式」の神名帳や「続日本書紀」には地名の「殿来連(とのきむらじ)」の氏族が住んでいたことや古事記にも記録があるらしい。
仁徳天皇の時代には「兎寸河(とのぎがわ)」の西に一本の巨木があり、朝日を受けるとその影が淡路島に達し、夕日を受けるとその影は高安山を越えるほどとか。この巨木から船を作ったところ速度が速く「枯野(からぬ)」と名付けられ、淡路島より天皇が使われる水を運んだと。 
社殿にお参りの前に穢れを祓う"祓岩(はらいいわ)"にお参りくださいと。
☆取石にある高石市のりっぱな焼却場(8:36)
この界隈は松をたくさん植えられた家が多く昔の街道の面影を残しているように思いますね。(和泉市上町8:46)
☆聖神社の大きな鳥居
広い境内は朝早いからか人がおらず静かだ。(9:10)
聖神社は約1300年前、白鳳三年(675年)天武天皇の勅願により、国家鎮護の神として創建されたと。
和泉国五社の三ノ宮に位し皇族武家の信仰があつく、特に後白河法皇の崇敬が篤かったと。
☆八坂神社
聖神社から熊野古道に戻りさらに進む和泉市 幸にある。(9:23)
徳川慶喜公の領地で高札があったところだと。
☆西教寺
創立は文禄三年(1594年)以前と。
その後、幾たびかの造営がなされ江戸後期から明治中期の浄土真宗寺院境内の様子が小規模ながら御坊格寺院に準ずる伽藍が揃っていると。
この辺に平松王子跡がありそうなのだが見当たらない、熊野古道の道筋から少し離れているがわからない。
熊野古道のルートは赤い線のところ。そして、赤丸のところに平松王子跡が地図には逢ったのだけれど。
元のルートに戻った交差点のところに"平松王子跡"の碑がありました。
真新しい碑です。(9:34)
このように熊野古道も正規のルートとされているところもあり、推測されたところもあり、土地の区画整理などで変更されているところもあるようです。
和泉国の総社とあります。きっちりと区画されているわけでもないようす。
泉井上神社は「和泉」の地名の発祥となった「和泉清水」を祭った神社。
本殿は慶長十年(1605年)に豊臣秀頼が再建。重要文化財で「三間社流造」の檜皮葺。
場所は槇尾川を渡る手前30号線と交わる赤丸印のところ。
橋を渡ると橋の袂に石標があります。ここを右に折れてさらに左にそれて進みます。
この辺もややこしいですね。向こうに見える牛乳のシンボルのあるところは毎日牛乳の工場です。
表示には「いにしえのみち 小栗街道」とあります。
やってきました毎日牛乳の工場です。
垂れ幕には「工場直売 シュークリーム」とあります。守衛室にはこちらから申し込めると。
池のそばに小さな公園があり行基淵跡の碑がありました。
さらに進むと大きな石の鳥居がありました。(11:36)
鳥居の由緒はもともとこの地より約5km東にあった績川神社の鳥居で、歴代天皇の勅願社として格式の高い神社であった。
この時期、この町(岸和田市額原町)の玄関口に"卒業おめでとう"の紙が貼られていました。
二人の卒業者がいる家庭では二枚貼られていましたね。
ここは南近義神社。(12:53)
今日も良く元気に歩いたものだ。天気も良く寒さもなく良かったですね。
でも、あちこちの神社を廻っているとあとでどこだったのかわからなくなってしまいましたね。
泉佐野駅はきれいですね。東側には新しいホテルが建築中です。
残念なのは駅のところにたくさんのハトが群れていて糞で汚かったことですね。
せっかくきれいなところなのに非衛生的だったのがすごく残念でした。
うまく駆除すればいいのにと思いましたね。
駅舎近くでご褒美ビールをゲットして、西側の広場でのんびりと一人反省会です。
次回はここからどこまで歩けるのかしら?
30km近くだと和歌山県のJR布施屋駅。半分だと中山渓駅だね。
〔その他のコース図〕
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